昔の人々は、海の彼方から砂浜に流れ着く漂着物をスピリチュアルなものと考えていました。記紀神話に描かれる「国生み」では、イザナギとイザナミは、障害を持って生まれたヒルコを海へと流したとされます。このヒルコが流れ着いたという伝承と七福神の恵比寿が結びついて、漂着物の神格化はさらに進みました。
神が宿っているかどうかは別として、漂着物にはどことなく心惹かれるものがあります。海を漂うゴミは、波に洗われて色や形が変わります。大抵は劣化してボロボロになりますが、中には“貴重な宝物”に変わることもあります。
たとえば、長年海を漂ったガラス瓶の破片は「シーグラス」と呼ばれ、宝石のように美しいため、ネットオークションなどで高値で売れるといいます。また、流木はアート作品やインテリアの材料として重宝されます。
こうした漂着物を映した動画がYouTubeで公開されています。「漂着物図鑑」と題された動画には、砂浜に打ち上げられた電球やペットボトル、テニスボール、ぬいぐるみなどが次々と映されていきます。「どうしてこんなものが流れてきたの?」と思う驚きの漂着物もあって、どういう経緯でそれが海に落ちてしまったのかを私は妄想してしまいます。
たとえば、ピンクの赤ちゃん用ガラガラ。お母さんの背中に負われて散歩中の赤ちゃんが手から落としてしまったのでしょうか?そう考えるのが最も平和です。ただ、もしかしたらお母さんが大掃除をした際に出たゴミを不法投棄して、その中にガラガラが混ざっていたのかもしれません。さらに最悪なことを考えると、育児に疲れたお母さんが赤ちゃんを海の中へポイッ!……そんなことはないと信じたいですが、漂着物を眺めていると、その背景にあるドラマがいくらでも浮かんできておもしろいんですよね。
他にも、靴フェチの人であれば、ドロドロに汚れて朽ちかけた漂着物の靴を見て、「何てかわいそうなんだ!」と思うかもしれません。自分の愛するものがゴミと化した姿は正視に耐えないですが、一方で「見たくないけれど見たい」という矛盾した感情に囚われがちです。さまざまな漂着物の中から自分が求めるものを探すのも、漂着物の楽しみ方の一つです。